学ぶことが人生

勉強が大好き。40過ぎても勉強。語学、読書、仕事等を通した勉強の記録。

失われた時を求めての訳2

CombrayⅠより

(1)Ma pauvre grand-mère entrait, priait ardemment son mari de ne pas goûter au cognac;(2)il se fâchait; buvait tout de même sa gorgée, (3)et ma grand-mère repartait, triste, decouragée, souriante pourtant, (4)car elle était si humble de cœur et si douce que sa tendresse pour les autres et le peu de cas qu’elle faisait de sa propre personne et de ses souffrances, se conciliaient dans son regard en un sourire où, (5)contrairement à ce qu’on voit dans le visage de beaucoup d’humains, il n’y avait d’ironie que pour elle-même, et pour nous tous comme un baiser de ses yeux (6)qui ne pouvaient voir ceux qu’elle chérissait sans les caresser passionnément du regard.

 

ながっ! この一文長すぎてどこで切れるのか、どこが主語やら、どれがどれを修飾してるんだかさっぱりわからん。単語自体はそれほど難しいのはないのだけれど、主述・修飾被修飾がわかりにくいので全く訳せない。

1時間以上この1文と格闘したあげく、結局井上究一郎訳を引っ張り出して参照し、やっと構文が理解できた。

 

1「かわいそうな祖母は部屋に入ってきて、夫にコニャックを飲まないように必死に懇願した。」

2「祖父は不機嫌になって、それでもかまわず飲んだ。」

3「祖母は悲しげに、落胆して、それなのにほほ笑んでまた出ていった。」

ここまでは問題ない。易しい。問題はcar以下である。

 

4 si... que...構文があるので、「とても~なので…だ」。queの中の文のsa tendresseの動詞がわからない。se conciliaientが複数形なのでわからなかったが、実は主語はsa tendresse et le peu de casのようである。この2つがetで並立するのが読み取れないし、まさかle peu de casが主語になるとは! それからfaire peu de cas「を重視しない」の熟語を知らなかった。ということで主語は直訳すれば「祖母のやさしさと祖母が重視する少なさ」である。それが、dans son regard祖母の表情の中でse concilier和解し、en sourireほほ笑みになるのである。

「なぜなら祖母は根っから大変控えめで、大変優しかったので、祖母が他の人に向ける優しさと、祖母の自分自身や自分の苦しみへの無頓着さが、顔つきの中で一体になり、ほほ笑みとして表れたからだ。」

5 ここも難しくない。「その祖母のほほ笑みは、多くの人々の表情に現れるものとは対照的に、祖母自身以外への皮肉は含まれず、私たちみなにとっては祖母の目がしてくれたキスのようだった。」

6 関係代名詞が2つあってわけわからん! qui ne pouvaient voirの先行詞はses yeux祖母の目。祖母の目がceux qu’以下を見ることができなかった。ceux qu’の中身はchérisssaitまで。祖母が大切に思っているものを。sans以下は「見ることができなかった」に係る。

「祖母の目は、祖母が大切にしているものを、表情で情熱的に愛撫せずに見ることができなかったのである。」