学ぶことが人生

勉強が大好き。40過ぎても勉強。語学、読書、仕事等を通した勉強の記録。

育児は頑張るな

子育てについての、異色なメンバーによる対談

 

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3人が皆本当にまともなことを言っていて感心した。日本ってなぜ「頑張っている=善」なのだろう。仕事でも子育てでも。なるべく手抜きして稼ぐ、楽して育てるのって賢さだから、そっちこそ褒められるべきではないのだろうか。苦労しているのなら楽にする方法を考えるべきで、苦労し続けるのは愚かなのではないか。粉ミルクだめ、母乳が良し。保育園に預けず母親が面倒を見るべき。頑張ったほうが良い子供が育つ、なんて考えが間違っていることは、子育てを何年もしていたらすぐわかる。子育ては私が今までやってきたことの中で一番といっていいくらい、「こうしたらこうなる」が当てはまらない。一生懸命頑張ったことを一瞬でゼロにされる。苦しい頑張りはしなくていいのである。

私の子供が通っている幼稚園も、意味不明な苦労を母親にさせようとする。「手作りのお弁当」「手作りの袋」「手書きのメモ」無意味な保護者会……とにかく無駄なことが多くて、幼稚園を途中で変えようと思ったが、弟妹に使いまわしがきくことで費用が安くすむのでそのまま通っている。保育園、幼稚園、公立小中学校と、教育の業界で一番テクノロジーが普及しない。

そのダイエット情報信用できる?

ダイエット情報が巷にあふれていて一体どれが本当なのかわからない。正直ほとんどの情報、特にテレビやyou tubeまとめサイトからの情報は9割以上嘘だと思っている。「1週間で○キロ痩せた」「○○を食べるだけで痩せる」「1日5分でウエスト減!」なんていう扇動的な文句ばかりが飛び交っているから。そんなわけあるかよ、っていつも思う。これを見て信じて試してみる人いるんだろうなあ。雑誌の裏に載っている怪しげな広告や、テレフォンショッピングに登場するダイエット商品にも釣られてしまう人が少なからずいるのだ。気持ちはわかる。特に女性は、痩せたいから。「どうしても痩せたい」という切実な思いから、ほんのわずかの期待に賭けて乗せられてしまう。一時ブームになった某有名スポーツジムの糖質制限ダイエットにも、私は懐疑的である。一時的には体重が落ちても、それって一生続けられるの? と思ってしまう。before afterの写真を撮って宣伝するためだけの短期集中である。結局リバウンドするのが目に見えている。

短期集中型の減量は、たとえ体重計の数値が減ったとしても、体脂肪が落ちているわけではなく、リバウンドしやすい。一生痩せていられる、リバウンドしにくい減量をするためには、結局のところ生活習慣の改善しかないのであり、1週間や1か月などでできることではないということだ。遠回りが結局近道なのである。早く効果を出したいために皆、極端な制限へと走る。それが、以前より悪い状態をもたらしてしまう。

そのようなことをはっきり教えてくれたのが、この方。

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ダイエットに関して世間で流行している「説」がほとんど誤っていることを、勇気を持って指摘してくださっている。こういうことを堂々とおっしゃる姿勢を尊敬します。扇動的なことを書いたほうが再生回数上がりやすいのに、あえて「平凡な」意見を言っていらっしゃるところが信頼できる。

次の方も堅実なことをおっしゃっていて、最近よく参考にしている。

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長期的な視点でダイエットを考え、極端なダイエットに走らせない指導方法に共感している。しかも「短期決戦は絶対にダメ」という意見ではなく、「短期が必要な場合は短期で。でもリバウンドは当然」というスタンスを示していらっしゃるところが柔軟で誠実だと思う。

素人you tuberが乱立する中、正しい情報を得るのは本当に難しいと思う。you tubeを視聴していると、勝手におすすめ動画が表示されるため、自分で正しいものを探すことがほぼ不可能だ。そんな中で、上に挙げたお二人は「なかなか言いにくい真実」を言ってくださる貴重な発信者である。

今後も頑張ってください。応援しています!

『最期の言葉の村へ』ドン・クリック

『最期の言葉の村へ 消滅危機言語タヤップを話す人々との30年』

ドン・クリック著 上京恵訳

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言語学を学びたい私にとっては大変興味深い本だった。しかもタヤップ語は能格言語! 能格が一番私が学びたい分野である。

でも読んでいると、フィールドワークは私にはきついな……筆者ほどに命をかける気にはなれないなあ……マラリアデング熱寄生虫、潰瘍などに筆者は何度もかかったという。よく生きているものだ。そこまで「体を張った」研究は私にはできない気がする。ぬくぬくとした環境で机上で読み書きする程度で甘んじている。

食事もなかなかなじめない内容のグロテスクなことが書いてある。たしかに以下の筆者の主張に私も同感だ。

他人と食べ物を分かち合うのは、社会的関係の構築においてきわめて基本的なことである。差し出された食べ物を拒むのはひどく無礼だ。

その通りだと思う。郷に入らば郷に従えだ。それでもここに書かれている食事で何か月も過ごすことなどできそうにない。筆者、その他の言語学者に敬意を表する。

 

言語の消滅を憂う言語学者のセンチメンタリズムに対し、筆者はこう述べる。

たとえ現地の言語が消滅しかかっているとしても、彼らは依然として自らのアイデンティティを持っている。彼らは今でもガンプ人だ――他に誰になるというのだ?

言語が消滅すると聞くと、一つの文化が消えるような気がするのはなぜだろう。必要がないから消えるのであれば何の問題もない。政治的な抗争で強制的に失われるのであれば話は変わってくるが。

また西欧先進諸国についてこのように述べる。

恵まれた人々は自分より恵まれない人々の生活に関わる責任があるというマーガレット・ミードの主張に、私は全面的に賛成である。

これもいろいろ考えると「関わる」べきなのかどうか悩んでしまう。「関わる」ことで何かしらの影響を与えてしまうと考えたとき、「関わる」ことがはたして善なのかどうか。関わると、未開の地の人々は西洋人に対して「憧れ」を持ちやすい。その「憧れ」が良いことだとは言い切れない気がする。医療面、生活必需品については西洋と共有するのが良いのだろうか? 一概に言えなくて難しい問題だ。

失われた時を求めての訳2

CombrayⅠより

(1)Ma pauvre grand-mère entrait, priait ardemment son mari de ne pas goûter au cognac;(2)il se fâchait; buvait tout de même sa gorgée, (3)et ma grand-mère repartait, triste, decouragée, souriante pourtant, (4)car elle était si humble de cœur et si douce que sa tendresse pour les autres et le peu de cas qu’elle faisait de sa propre personne et de ses souffrances, se conciliaient dans son regard en un sourire où, (5)contrairement à ce qu’on voit dans le visage de beaucoup d’humains, il n’y avait d’ironie que pour elle-même, et pour nous tous comme un baiser de ses yeux (6)qui ne pouvaient voir ceux qu’elle chérissait sans les caresser passionnément du regard.

 

ながっ! この一文長すぎてどこで切れるのか、どこが主語やら、どれがどれを修飾してるんだかさっぱりわからん。単語自体はそれほど難しいのはないのだけれど、主述・修飾被修飾がわかりにくいので全く訳せない。

1時間以上この1文と格闘したあげく、結局井上究一郎訳を引っ張り出して参照し、やっと構文が理解できた。

 

1「かわいそうな祖母は部屋に入ってきて、夫にコニャックを飲まないように必死に懇願した。」

2「祖父は不機嫌になって、それでもかまわず飲んだ。」

3「祖母は悲しげに、落胆して、それなのにほほ笑んでまた出ていった。」

ここまでは問題ない。易しい。問題はcar以下である。

 

4 si... que...構文があるので、「とても~なので…だ」。queの中の文のsa tendresseの動詞がわからない。se conciliaientが複数形なのでわからなかったが、実は主語はsa tendresse et le peu de casのようである。この2つがetで並立するのが読み取れないし、まさかle peu de casが主語になるとは! それからfaire peu de cas「を重視しない」の熟語を知らなかった。ということで主語は直訳すれば「祖母のやさしさと祖母が重視する少なさ」である。それが、dans son regard祖母の表情の中でse concilier和解し、en sourireほほ笑みになるのである。

「なぜなら祖母は根っから大変控えめで、大変優しかったので、祖母が他の人に向ける優しさと、祖母の自分自身や自分の苦しみへの無頓着さが、顔つきの中で一体になり、ほほ笑みとして表れたからだ。」

5 ここも難しくない。「その祖母のほほ笑みは、多くの人々の表情に現れるものとは対照的に、祖母自身以外への皮肉は含まれず、私たちみなにとっては祖母の目がしてくれたキスのようだった。」

6 関係代名詞が2つあってわけわからん! qui ne pouvaient voirの先行詞はses yeux祖母の目。祖母の目がceux qu’以下を見ることができなかった。ceux qu’の中身はchérisssaitまで。祖母が大切に思っているものを。sans以下は「見ることができなかった」に係る。

「祖母の目は、祖母が大切にしているものを、表情で情熱的に愛撫せずに見ることができなかったのである。」

親への恨み

精神科医の樺沢先生によれば、2人に1人くらいは親への恨みを抱いているらしい。「毒親」なんていう言葉もある。

 

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私にも親への恨みがある。楽しかったことよりも嫌だったことのほうがすぐに思い出せる。自分が挑戦したいことを「そんなの無理に決まっているでしょう」と一蹴された。1度ならず、2度、3度とあった。そのことをずっと引きずって生きてきた。自分が何かでうまくいかなかったときにこの恨みが出てくる。「あのとき挑戦していたら……」「あのとき親に応援してもらえていたら……」。つまり人生における失敗を、全部とまではいかないが一部親のせいにしようとしているのだろう。なんてもったいないことをしていたのか。「あのとき挑戦していたら」と思うのだったら、そのときまた挑戦すればよかったのだ。

大愚和尚もおっしゃっている。

 

youtu.be

「今、ご両親はあなたのことを何も邪魔していない。あなたを苦しめているのは、ご両親じゃない。自分なんです」

ほんとにそうだな、と思った。

恨むも忘れるも自分次第。自分の一生を恨みで満たし、恨みに苦しみ続けるのか、恨みから自由になり、一生を挑戦で満たすのか、決めるのは自分である。樺沢先生は「恨み続けるか、許すか、二つに一つ」とおっしゃっている。私ももう許そう。できないことを親のせいにするのでなく、「できない」と決めつけず、挑戦していこう。「あのときできなかったこと」は、今やってみればいいだけだ。

第261回TOEICアビメ

前回のTOEICのアビメ到着しました。

リーディングはパーフェクトだったかも!?

リスニングがひどすぎます。5問くらい間違っているのでは。

 

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第261回TOEICアビメ

 

経済ニュースの聞き取り2

The Economistの2回目です。同じニュースの続きのところです。0:59あたりから論説委員のような女性が出てきて解説します。短いですが、1:45あたりまでを聞き取ります。相当早口で、難しかったです!

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<聞きとれなかった箇所>

The decision the Robinhood took to halt trading of GameStop shares has been extremely controversial, so it is worth digging into sort of why this decision was taken.

And at the moment, the sort of likeliest theory seems that they were struggling to cope with the sort of sheer volume and sheer amount of interest…

you know there are estimates out there

Those pressures may sort of contributed to the Robinhood’s decision to halt trading.

 

you knowとsort ofが口癖ですね。

前回イギリス英語はあまりくずれないなんて言いましたが、これはくずれていますね。

halt → holdと間違えました。「取引を停止する」という意味だろうという推測は合っていました。

digging into sort of → ここは難しかったですね。「一考する」という意味だろうと思ったのですが、この熟語が出てきませんでした。

likeliest theory → これも上級です。likeliest「最有力の、最も~しそうな」

sheer → 株価の話なので、shareと聞き間違えました。ここは音で聞き取るというより、文脈から「単なる量と単なる額」という意味だと聞き取るのがよいでしょう。

you know, there are estimates out there that → there are estimatesという表現になじみがなく、出てきませんでした。out thereもくずれやすくて毎回聞き落とす熟語です。

 

皆さんはどのくらい聞き取れましたか? 単語としては知っていても「この語と続いて出てくることに聞きなじみがない」という理由で聞き取れないことがよくあります。つながり、まとまりで聞き取る練習が大切ですね。